マダン劇を楽しく見るために![]() |
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● マダンとは「広場」、「中庭」を意味します。1970〜80年代にかけて、韓国の若者たちが演劇の世界で創りあげた演劇のひとつのスタイルですが、その根源は民俗文化に由来します。朝鮮半島で古くから民衆に愛されてきた芸能のスタイルとして、風刺劇やタルチュム(仮面踊り)、農楽(チャンゴ、ケンガリ、プク、チンの4種類の打楽器を用いた演奏)などがマダンで行われてきました。マダンの周りを観客がぐるりと取り囲み、演者と観客が声をかけあいながら、一体となって楽しむのです。それを西洋から入ってきた舞台演劇に取り入れ、民衆の伝統的な文化の楽しみ方を再現したのがマダン劇、もしくはマダンノリといいます。
by toruharuban |
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| マダン劇 『漢拏の慟哭』 解説 | |
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◆あ ら す じ 第二のマダン 第三のマダン 第四のマダン 第五のマダン おわりのマダン |
◆登場人物の紹介 トッコン〔セテウリ〕 :25才、牛飼い ジョンウン :25才、トッコンの妻 おっかあ〔オモン〕 :45才、 トッコンの母 インスク :35才、村の女 かかあ :30才 娘 :20才 スンヒョク :30才、先生役 ソギュン : トッコンの幼なじみ、密告 者、後に警察幹部に 支署長〔チソジャン〕 進行係り : 劇の流れをつなぎ、様々な 役をこなす 西青(西北青年団) ◆ マダン劇を楽しく観るための 豆知識 ソンジュ城主プリ 劇は城主プリからはじまる。新しく家を建てる時に、招福・厄祓いのために行うクッ(巫俗儀礼)のこと。クッの中で「姜太公大工ノリ」という演劇的な儀礼が挿入される。姜太公という大工がヨンドゥン山の固い木を切って家を作る様子を模擬的に演じることにより、丈夫で良い家が建つことを祈願する。 プクチョンリ北村里 済州島北部の海辺に接する朝天面(当時)の村。日帝時代から抗日運動家を多く輩出した。五・一〇単独選挙もボイコットをした。1993年に開始した村の元老会などによる調査では、1949年1月17日の集団虐殺の死亡者476名が公表されている。この北村事件は、玄基榮(ヒョン・ギヨン)の小説「順伊(スニ)おばさん」の題材にもなっている。 中山間部落 済州島の海岸線から5キロメートル以上離れた地域一帯を指す。なお、中山間焦土化作戦とは、住民が武装隊に一切の援助を施せないよう、また武装隊が村に潜伏できないようにとの目的から、一帯の住民を海岸線地帯に疎開させた後に村全体を焼き払うという討伐隊の作戦。疎開せずに残った住民すべてを「暴徒」とみなし、処断せよとの命令も含まれる。 アイゴー事件 北村事件から五年後の1954年1月23日、朝鮮戦争に志願入隊していた青年が死亡し、遺体となって故郷・北村里に帰ってきた。村人による霊魂を慰めるコンノルリムの行列が、北村国民学校にさしかかったとき、五年前に虐殺された家族・親類を重ね合わせて、「アイゴー、アイゴー」と慟哭しはじめた。ところが、急ぎ駆けつけた警察隊によって制止され、取調べを受け、里長は反省文を書かされた。無念にも亡くなった死者の魂を慰めようと、御酒を一杯捧げることも、涙することも罪になる、悔しい恨の象徴として「アイゴー事件」は北村の住民に記憶されている。この一件は、済州島四・三事件が終わってもまだつづいた、凄惨な抑圧を物語る出来事といえよう。 コンノルリム 天寿をまっとうできずに、若くして亡くなった死者の霊を慰めるために、花喪輿を担いで、死者にゆかりのある場所をねり歩き、最後に遊ばせて慰霊するという、済州島独自の風習のひとつ。劇中、「第五のマダン」以降で演じられる。 |
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